復職1ヶ月

復職してからおおよそ1ヶ月が経ちました。

 

正直なところ、復職して良かったと思えることはほとんどありません。

体制は変わっても、やはりどこか自分が馴染めない気がしてなりません。

ただ、欠勤はしないで出勤を続けることは出来ています。

それだけで今は十分と感じています。

 

さて、最近は芸能人の自死などのニュースをよく見ますが、そう言ったニュースを特別なものとは感じません。

その人にしか分からない大きな苦しみや痛みがあり、その末に選ぶ道がそういった死なのだと思います。

私にもそういった自分が抱えている痛み、苦しみがあります。やはり死を考えることもあります。自分と戦い続けている今、ただそれを選んでいないだけなのです。

ああいうニュースを見る度に、やはり悲しい気持ちにはなりますが、そういった人達を責めることはできません。その人達も自分なりに戦い、考え、選んだ道なのでしょう。死に救いがあると思っているわけではありませんが、せめて安らかに眠ってほしい、どうか救いがあって欲しいとは思います。

 

なぜこの話しをしたのか。

復職してからというもの、本当は死にたいって考えてしまっていることが多かったから。

1時間の昼休みも、最近は忙しく半分になったり、かと言って定時で帰ることもありません。

今日は先輩方もおらず、残務処理や締めを1人で行いました。もちろん残業代はつかないサビ残です。

家もそれなりに遠いので、正直それなりにつらいです。

それでいて、何となく閑職方向に回されている気もします。それならそれで諦めも付きます。閑職という程ひまでもないですが。

 

彼女に振り回されることもありました。

彼女との出先で行きたいところを聞いたところ、そこから車で1時間半以上はかかる屋外の場所をリクエストされ、その日はその後天気が悪くなることを気にした自分は彼女にその事を大丈夫か確認しましたが、その言動からどうやら自分がその場所に行きたくないと思われたようで、途中まで走ったところでUターンしてと言われ、行っても降りないからと怒られ帰るハメになったり。

これも結局自分が悪かったなとは思います、ハイハイと最初から素直に言っておけば良かったんです。

結局、後日天気良い日に改めてそこに連れて行ったら大変喜んでいたので、正直安堵して張り詰めていた精神は一気に疲れました。

最近では彼女の前で決して「疲れた」も言わないように努めています。

疲れたなんてそんなこと言ったら、恐らく彼女がまた機嫌悪くなるでしょうから、それに気を遣い続けると精神やられて、またどんどん死にたいという思いが戻ってきてしまうと思うからです。

だから言う言葉は「大丈夫」「平気だよ」です。

彼女の事は愛していますが、自分のありのままの弱さを見せていい人ではないと、適応障害の件を経て感じました。

 

その彼女とのデート資金のために、自分が大事にしていたゲームも売りました。そのゲームをやる為に買ったちょっと良い値段のアーケード専用コントローラーも売ってしまいました。

最近やってないからいいやと思って売りましたが、やはり改めて考えると少し寂しいものがあります。こうやって色々なものを失っていくのでしょうか。

 

やがて生きる希望も失ってしまうのでしょうか。

明日も出勤です。